城跡に上る前に、蔵を7つ並べた
様な大きな施設でお昼ご飯を
食べました。運動不足の身には
かなりハードな道のりになり
そうな予感。
途中の岩は「落ちない岩」で(い)が間違って付いたらしく、
本当は「おちないわ」となる筈だったらしい。
名前通り、合格祈願の岩として祭られています。
↓は看板を撮影したものです。
今回は時間的に雲海に包まれた城跡は見れないけれど、
やっと辿り着きました。我ながら、頑張った!!
竹田城の石垣はこのような野面積となっています。
野面積とは自然石を加工せずそのまま積み上げたもの。
パノラマの隅に石垣を入れて。
600年ほど前に山名氏が築城し、太田垣氏の時代を経て、
豊臣秀吉が城代となり太田垣の竹田城は終焉しました。
次に桑山、赤松が城主となり、関ヶ原の戦い後に廃城となった歴史があります。
国破れて山河あり、城春にして草木深し
夏草や、兵どもが夢のあと・・・
なんて歌が浮かんで来たり。
こんな上空に南北400メートル、東西100メートルの曲輪を築くとは!!
スケールの大きさに、ぶったまげ~
一番高い場所、本丸の天守台に登ります。石垣の角は算木積みで、石の長辺と短辺を交互に重ねて強度を
高めています。
それにしてもこの高さにこれだけの石垣を築くなんて、気が遠くなりそう。
下は作りかけの石垣。
あれだけ苦労して上ったのに、あっという間に下山しました。
その昔、どんなお城が建ってたんだろう。