2024年11月25日月曜日

吉野山③~吉水神社

竹林院の次は沿道のお店を覗きながら、
更に坂を下って吉水神社を目指します。

可愛い桜ポストがあるよ。横に歌が書かれています。
「よしのやま こぞのしをりの 道かへて まだ見ぬかたの はなをたづねむ」
だって!
お昼も大分過ぎたので、腹ごしらえしてから、吉水神社に参ろう。
陀羅尼助店
吉水神社に到着~ここに来るは2度目だね。
民家の横の参道を通って、一つ目の門へ
これも後醍醐天皇の句碑でしょうか。少し歩くと2つ目の門。
門横の句碑に刻まれた歌は・・・
「ここにても、雲居の桜咲きにけり、ただかりそめの宿と思ふに」
門の脇に一目千本の展望台。ここだけはよく覚えています。記憶が蘇る!

1300年前に役行者が創建した修験宗の僧坊でしたが、
明治時代の神仏分離令で吉水神社と改められました。
ここは、後醍醐天皇の南朝の皇居だったことで知られています。

さあ、南朝時代の皇居に入るよ。



右端は弁慶思案の間とあります。
玉座を横から。襖絵は狩野派絵師によるもの。
頼朝の追手から逃れた源義経と静御前が弁慶と共にここに隠れ住んだ歴史があります。
義経が身に着けていた数々の武器や道具、衣装も展示されていました。

    弁慶七つ道具と義経所用物

              下は、重要文化財の義経の胴巻
       義経が小柄な事にびっくり。昔は皆な小柄だったんだね。
後醍醐天皇の所用物と宸翰

左下は、日本三秘仏の一つ、灰佛弁財天は弘法大師作。右は豊臣秀頼公寄進の湯釜 
秀吉は歌会、お茶会、能会を盛大に催し、
その際に使用した道具や宝物を吉水院に寄贈しました。
秀吉寄進の品々↓
豊臣秀吉愛用の金屏風
               役行者像
南朝皇居は貴重な遺物や宝物の宝庫でした。
隣が金峯山寺だ。
庭園と邪気祓所

弁慶が手で岩に打った釘、弁慶の力釘
見えにくいけど、釘が確かに2本岩に打ち込まれています。
手で打ちこんだって、ほんまかいな???