2025年1月14日火曜日

沖縄⑱5日目~玉陵

斎場御嶽から玉陵へ~
首里城から少し歩いた所にある王墓
です。「たまうどん」ではなく、
「たまうどぅん」だよ。
玉陵の前に資料館に行きました。




玉陵は1501年に尚真王が父の遺骨を葬るために築いて以降、
王家の陵墓となりました。

下は資料館に展示されていた厨子。
沖縄では、厨子は遺骨を納める蔵骨器を指すそうです。

下は玉陵の全容 
模型では外観から窺い知れない内部の様子がよくわかります。
内室に納められている白い物は、骨壺である厨子。
墓室は3つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋で、
東室は洗骨後の王と王妃、西室には限られた家族が葬られました。

資料館を出て、この道を抜けると玉陵が見えてきます。
玉陵の正面に拝所がある。香炉が3つ。


最初の門を潜ると・・・
              運動場みたいに広いスペースがあり・・・
                      
             中庭を横切って真っすぐ進んで、
               二つ目の門を更に潜ると・・・
パノラマ写真でも全容が入りきらない玉陵!
            左端 東室↓は国王と王妃が眠る部屋
           ↓中室は、洗骨前の遺体を安置する部屋。
         玉陵が使用された時代は、棺を墓室に安置して数年後に
        遺骨を洗い清めて改葬する「洗骨」という葬方が主流でした。

              右端↓西室は、王子や王女が眠る場所
    
下写真の王陵碑は、ここに葬られるべき人を記した碑で1501年に建てられました。
碑文には、尚真王ほか8名の名前が記され、この書付に背くものは祟られると
結んでいますが、尚真王の長男と次男の名前が無く、王族内に対立があったと
考えられているそうです。
玉陵の隣に、西の御番所の復元があります。
西の御番所は太平洋戦争前まで格式のある家柄から選ばれた御番役が住み込み
御掃除人を使って玉陵の管理を行っていたと書かれいます。

次は最後の訪問地、首里城公園へ